NAGEYARI CHRONICLE
ドリーム・ランド
PKGDC 3戦目の舞台裏。愛とは、狂気の一種である。
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「それでは最後に1枚、家族全員で写真撮影などいかがでしょうか?」
そんな台詞を吐いたのは、いつのことだったか。
とある幸せな家族の夢。悪夢のようなその現実。
2つの世界を探索し、辿り着いた夢の終わり。
あれは、別れを選ぶことが出来た姉妹たちの物語だった――。
……そんなどこか懐かしい記憶にノイズが走る。
激しい頭痛に襲われ、立ち往生しそうになりながらも、仄暗い階段を下る。
革靴が踏み鳴らす無機質な音が反響する。
コツ、コツ、コツ、コツ……。
こことは別の世界で調査したローズタワーの見取り図にはなかった地下空間。
あの時はシュートスタジアムから地脈のように吸い上げたダイマックスパワーがタワーに集まるよう仕組まれていた。ブラックナイトを目覚めさせるためのエネルギー源として。
だが、ここは違う。何かを目覚めさせるための施設ではない。
言うなれば、そう――逆なのだ。
《パスワードを入力してください》
辿り着いた最下層で、厳重にロックされた扉を見つける。
その脇には、パスワード入力用の電子パネルが設置されている。
タン、タン、と子気味良くボタンを押していく。その動作に逡巡はなく、的確に正解を入力する。
《ロックを解除します》
電子音と共に扉が開かれる。
その先には短い通路があり、奥にはまた扉が見える。
だがこちらにロックはない。重たく冷たいだけの鉄扉だ。
ギィ、とゆっくり押し開ける。扉の向こうには、部屋があった。
薄闇の中に、機械類の青白いランプが灯る不気味な部屋。
無数の配管が軟体類の脚のように伸び、天井から床までを覆いつくしている。
計器類が時たま何かを計測したように電子音を鳴らすが、それ以外は静寂に包まれていた。
その侵入者に、声がかかるまでは。
「……珍しいこともあるのね。ときちゃん以外の誰かがここに来るなんて。一体なにをしに来たのかしら?」
扉を開けた先に立っていたのは、青い髪の女性。
この大会の参加者の1人であり、運営陣としての活動もしている擬人化ギャラドスのはるか。
そして、彼女の後方……部屋の一番奥に置かれたベッドには、彼女の妹であるかなたが眠りについている。
「そんなに怖い顔しないでくださいよ。私はお話をしに来ただけです。そう、ちょっとお話をね……」
いつもと変わらぬ剽軽な調子で、招かれざる客ことイサラは答える。
いらぬ邪魔が入らぬよう、重い鉄扉をしめる。
本来であれば退路を断つような真似はしないのだが、今回は別だ。
2人で話がしたいだけ、手荒なことはしない、という暗黙の表現だった。
そして、どうやらその意図は伝わったようで。
「そうなの。生憎とおもてなし出来るような部屋じゃないから立ち話になるけど、いいかしら?」
「あぁ、お構いなく。私も用事を済ませたら早々に退散するつもりですので」
氷のような微笑を仮面とし、2人は一見穏やかに向き合う。
イサラの視界の端で何者かが一瞬動いたように見えたが、はるかが手でそれを制止する。
「用件の前にいくつか訊ねたいことがあるのだけど、かまわないかしら?」
「えぇ、なんなりと」
「まず、どうやってここを見つけたの? パスワードも知っていたようだけど」
ここはローズタワーの地下。PKGDC会場のある沖の無人島からは遠く離れたシュートシティに位置する。
偶然見つけることが出来るような場所ではない。当然の疑問だろう。
「その質問に答えるには色々と前提をお話ししなければならないのですが、面倒なので割愛していきます。
まず、今回の大会の会場……時空の歪みの中に現れた世界が"どういう世界なのか"は知っています。
それをなぜ知ったのか、についても一旦置いておきます。あとで話すことですし」
「……」
「で。質問に対する回答ですが、この不可解な世界を調べている間に不審な人物を見かけたからというのがきっかけになります。あとはまぁ、目星立てて張り込んだり、聞き耳立てて情報収集したり、ですかね」
ふぅん、とはるかはつまらなそうな反応を見せる。
「私が"視ていた内容"と概ね一緒ね。貴方って意外と正直者なのね」
「嘘をつかないのが私の信条でしてねぇ」
「その不審な人物と言うのは、聞くまでもなく私のことよね? そして、ときちゃんもその中に含まれている」
「おぉ、そこまでお見通しですか。いやはや、これでは私が話す意味が無いように感じられますが……」
はるかの発言に、イサラは大仰に驚いて見せる。
そのわざとらしい反応が鼻につく、と言った感じではるかは肩をすくめる。
「いいわ、続けて?
これはいわゆる種明かしのお時間だもの。自分で探索結果を伝えたいでしょ?」
「これはこれは、お気遣いいただき恐悦至極……ですが。
あまり人を食った態度はとらない方がよろしいかと」
一瞥一閃。細めた瞼の奥から、穿つような眼光を向けてはるかを威嚇する。
それは、今この場での立場は平等であるという警告。ゲームマスターはこの場にはいない。
「この世界の異質さに気付いた後、私はすぐ貴女を調査しました。
一見、賑やかな5人姉妹の長女として振る舞っているようで、その実その感情が向けられているのはただ1人。
いや、おそらく貴女自身は皆を平等に愛しているつもりかもしれませんが、見方を変えれば一目瞭然。
貴女は、妹であるかなたさんの身を案じて、彼女を最も大事に扱っている。
過保護な、と言うより、自由にさせている。甘やかす、というよりは導いている。
最もわかりやすかった動きが、1戦目での貴女の行動。
かなたさんがダメージを負った瞬間、貴女とそのお仲間方は姿を消した。
その向かった先が、ここというわけです」
「なるほど。妙に嫌な気配を感じると思ったら、やっぱり貴方だったのねぇ。
女性を監視するような行動なんて、訴えたら勝てちゃいそう」
「いやぁ勘弁願いたいですね。監視しているのはお互い様でしょうに」
「それはそうね。冗談よ、冗談」
ははは、と乾いた笑いが室内に広がる。
一呼吸置いて、イサラは続ける。
「で、パスワードに関してですが。これはときさんから偶然拾えた情報です。
ミクソンさんのお店に彼女たちが遊びに来たとき、ちょうど私も近くの席にいましてね。
その時、彼女が『変な夢を見た気がする』と話しているのを聞きかじったのですよ。
暗い階段、パスワードのような文字列、誰かと出会う……そんなおぼろげな夢の話をね」
「……そう。繰り返しすぎて、記憶が濃く残るようになってきたのかしら。
パスワードを口走っちゃうなんて……こういうの、何て言うんだったかしら。テレパシー?」
「リテラシーじゃないです?」
「そうそう、それそれ。リテラシーが足りてないわ、ときちゃんってば」
「とまぁそんな感じで、この場所を突き止められたというわけです」
「なるほどね、よくわかったわ。いろいろ視えているとは言っても、全部じゃないから。
ときちゃん以外の人が来るのは初めてだから驚いちゃったけど、得心がいったわ」
少し気が晴れたような顔でそう言うはるか。
しかしイサラは「で。」と話を続ける。
「そろそろ本題に入らせていただいてよろしいですかねぇ。あまり長く話していると喉が渇いてしまいます」
「あら、ごめんなさい。私だけ納得しちゃったわ。
そうね、そっちについても聞いておかなくちゃ。一体、ここに何をしに来たの?」
「銀の鍵を譲っていただけないでしょうか」
「……なるほどね、そういうコト」
ねだるように手のひらを差し出すイサラに、はるかの目から光が失われる。
この男が何をしようとしているのか、彼女には瞬時に理解できたのだ。
「確かに、あの鍵は私が預かっているわ。みらいちゃん、また誤爆で鍵を使っちゃいそうだったから」
そう言って、はるかは懐から1つの錆びれた鍵を取り出す。
唐草模様のあしらわれたアンティーク調のその鍵は、ある一部の人間にとっては人生をかけてでも手に入れたい貴重かつ危険な道具だった。
「この鍵が時空の歪みを発生させて、貴方たちの世界と繋がってしまった原因ってコトにどうやって気付いたの?」
「それに気付いたのは私ではなく、今もテンガン山のラボにいるあのパラセクトですよ」
「あぁ、彼女……ユゴートさんだったかしら。彼女、何者なの?」
「それこそ知らぬが仏、ってやつです。ともかく、アレはこういった次元干渉に詳しい存在でしてね。
今回発生した時空の歪みについて調査した結果、その原因となるエネルギーがとある時空の神の力と類似していることにアレは気付いたんです」
時空の神。
と言っても、イサラの口にするそれはディアルガ・パルキアのようなポケモンのことでは断じてない。
人はそれを『全てにして一つのもの』あるいは『門の守護者』と呼んでいる。
「というのもですね。アレの使う時空間移動術……《門の創造》は、その神の力を借りた魔術でしてね。
自分が良く使う力ですから、気付くのは誰よりも早かったそうですよ」
「つまり貴方は、その事実をユゴートさんから聞いて動き出した密偵ってところね?
そして、銀の鍵が私たちの手元にあることを突き止めて、ここに至ったと」
仰る通りでございます、とイサラは深々と頭を下げる。
わかったなら早くよこせ、という意味なのははるかにも伝わっている。
「まぁ、貴方がこれを手にして何をしようと勝手だけれど……こんなので大丈夫かしら。
この鍵、今にも壊れそうよ?」
そう言ってはるかが近づき、イサラに鍵を見せる。
彼女の手元を覗き込んだイサラは「あぁなるほどぉ」と、苦笑を浮かべて舌を出す。
「だいぶひび割れてますねぇ。これ、もしかしなくてもレプリカですねぇ」
「歪みが発生した時にはもうこんな状態だったのよ。多分もう1回使ったら壊れちゃうんじゃないかしら?」
持ち手は欠け、先端が今にも崩れ落ちそうなほどひび割れたそれは、イサラが受け取るだけで砕け散るのではないかという無残な状態だった。
ただ、イサラにとってこの結果は想定の一つであった。
何せ、オリジナルの鍵は世界に1つしか存在しないと言われるほどの代物であり……。
その1つは"彼の本当の家に保管されている"のだから。
「別の世界でなら手に入るかもと思いましたが、やはりそう簡単にはいかないものですねぇ。
そうですよねぇ。私がオリジナルを持ち帰ってしまったら、私が2つ持っていることになってしまいますから」
世界のルールというものは、破るとどうなるかわからない。
そういった抑止力のようなものか。此方の世界に来てからというもの、彼の求める物は何も手に入らないのである。
「いやぁ、苦労は報われないものですね。仕方ありません。
こんな不完全なものを手に入れても、リスクしかないでしょうし。
この鍵は、時空の歪みを戻すことにお使いください。その方がよさそうです」
「やっぱりそうなるわよね。この鍵が原因で開いちゃったんだし、この鍵で閉じないと。
大会が終わったら、そうするつもりよ」
「いやはや、お恥ずかしながら今回のお話はなかったことにしていただけると幸いです。
私も、貴女方の事情については一切口外しないことをお約束しますので」
イサラは「では」と踵を返し、入ってきた扉に手をかけようとする。
その背中に、はるかも声をかける。
「えぇ、そうしてくれると嬉しいわ♪ 私も貴方の正体については黙っておくわね」
「おや……そこまで視ていましたか。それとも、当てずっぽうですか?」
扉にかけた手がピクリと止まる。
「半分は当てずっぽうかしら。でも、本当なのよね。
貴方は自分の世界に帰ろうとしている元人間。そして、自分の世界で何かがあって逃げて来た精神体。
そして、自分の世界とこの世界を自由に行き来するために、銀の鍵なるアイテムを探し求めている」
冷や水をかけられたような顔でイサラが振り返る。
自分の事情について詮索されるのは、気分の良いと言えるものではなかった。
「でも、帰ろうとするのは自由だけど……帰るだけでいいのかしら。
逃げて来た元凶をどうにかする手段は見つかったの? それが無いと、帰っても仕方ないんじゃない?
貴方の行動は……矛盾してるわよ?」
「……甘んじて受け止めましょう、ミズ・はるか。
貴女方のプライバシーを土足で歩き回ったことへのお詫びがまだでしたね。大変失礼いたしました」
「わかってくれたならいいのよ♪ じゃ、また会場で会いましょ?」
はるかは笑顔で手をひらひらと振る。
しかし、イサラはその場にとどまり、口を開く。
「行動が矛盾しているのは貴女も同じはずです、はるかさん」
「……何を言いたいのかしら?」
はるかの顔から、笑顔が剥がれ落ちる。
イサラは、彼女の後ろに眠るかなたを一瞥する。
この世界で楽しく生きる彼女とも、現実世界で眠りについている彼女とも違う、虚像のようなその少女の横顔を。
「貴女は妹さん……かなたさんの夢を続けたいと願う守り人だ。
彼女の夢を尊重し、彼女を起こさないようにショックから彼女を守るように立ち回っている」
「えぇ。今更の答え合わせだけど、そのとおりよ」
「だが貴女は、この大会を運営している」
「……」
「夢の世界を守りたいのであれば、外部からの干渉などもってのほか。
みらいさんが銀の鍵を使用してしまった時点で……
もしくは遅くとも、風嵐さんがこちらに訪れた時点で、貴女はもう一度鍵を使って時空の歪みを戻すべきだった」
「それは、そうね。えぇ、自覚してるわ。それが、私の矛盾」
「だが貴女にはそれができなかった。
なぜなら貴女もまた、かなたさんの精神の一部。
新しい友達が出来るかもしれない。みんなで仲良く盛り上がれるかもしれない。
"起きていた時と同じように"楽しいバトルが出来るかもしれない。
そんなかなたさんの精神が、貴女を大会の運営という立場に仕立て上げた。
貴女もまたこの夢の世界の駒……登場人物-キャラクター-に過ぎないのですから」
永遠とも思える、数秒の沈黙が訪れた。
くすっ、とはるかが笑った。
「貴方も、マスターのようなことを言うのね。
えぇ、そうよ。私は役を与えられた駒に過ぎない。そして、駒は駒のルールを破れない。
他の子とちょっと違うのは、駒であることを自覚しているだけ。
でも、そんな駒でも……キャラクターでも」
はるかが、拳をぎゅっと握りしめる。
「愛する家族を想う心だけは本物だということを、忘れないでほしいわ」
「……肝に銘じておきますよ。それでは、また会場でお会いしましょう」
――これは、1人の少女の精神が五等分になった世界の物語。
夢から覚め、哀しき現実を受け入れる日は来るのか。
あるいは、幸せな幻想を抱いたまま物語を紡ぎ続けるのか。
それはきっと、神のみぞ知る未来の話――。
「あぁ、一つ言い忘れましたねぇ」
ローズタワーの地下から出たイサラが、日の光に当てられて立ち眩みそうになりながら呟く。
「あの鍵を"誰が置いていったのか"について問いただすのを忘れましたね。
あの感じだと、彼女たちも知らないのでしょうが……」
深淵はいつだって貴方を覗いている。
それは貴方たちが覗き込もうとするのを待っているから。
狂気はいつだって身近に潜んでいる。
愛と言う、恐ろしいほどに美しい名を授かって。